「言論には言論で訴えるのがルール」と語る溝口敦氏=東京都内
記者二人が殺傷された朝日新聞阪神支局襲撃事件はきょう三日で、発生から丸二十年を迎える。事件に憤りと危機感を募らせたメディアやジャーナリストたちは、これまで機会あるごとに「言論の自由」を叫んできた。しかし、言論や政治家を標的にした暴力は、この間にも繰り返された。先月には伊藤一長・長崎市長が選挙中、凶弾に倒れた。こうした事件を引き起こす背景などについて、自身や家族が襲われた経験を持つ、ノンフィクション作家の溝口敦氏に聞いた。(山路 進)
-溝口さん自身も襲われて重傷を負ったほか、昨年は月刊誌記事をめぐって、長男が暴力団組員に刺されるなどの被害に遭っている。
言論には言論で訴えるのが現代社会のルール。無関係な家族を狙うとは卑劣、陰湿で頭にきた。こうした事件がなくならないのは、犯人側にやり得な状態が続いているからだ。
-阪神支局襲撃事件以降も言論への暴力が後を絶たない現状、背景をどうみるか
朝日新聞を狙った一連の事件で、時効までに犯人を逮捕できなかった捜査機関の力の無さを痛感する。「おとり捜査」ができるよう覚せい剤取締法を改正しても、通信傍受法ができても事件は解決していない。日本の警察、検察、そして法律は犯罪組織への認識が甘過ぎる。実行犯は逮捕、服役後の生活が担保されているため、指示者や企図者については口を割らない。誰の指示を受けたかを話せば、減刑できる司法取引を認めなければ根本的な解決にはならない。
-あらためて阪神支局を襲撃したのは、どのような人物だと思うか
朝日新聞がターゲットとなった一連の事件がすべて同一犯によるものかどうかは分からないが、その多くは組織的な犯行だと感じる。仮に犯人が何らかの思想を持つ者とするならば、犯行声明を出した真意が分からない。思想的な犯罪は、公の場に出て意見表明してこそ完結するのではないか。自分は闇に隠れたままでは思想的行為とは言えないだろう。ひきょう者による犯行だ。
-一方で、報道の過熱など言論を発信する側への批判も少なくない
今の新聞報道が口を出し過ぎだとは思わない。ある米国最高裁判事が「タブーは白日にさらすのが一番」と言った。その通りだ。書けばタブーは消え、すべてがあからさまになり、被害者も加害者も明らかになる。何も悪いことをしていない被害者が態度を変えてしまえば、加害者に暴力をやってよかったと思わせてしまう。被害者にも責任があると思う。世に知らせて再発を防ぎ、加害者に恥ずかしい思いをさせる。そうした風通しのよい世の中でなければ、暴力団の親分や陰のフィクサーのような悪人をますます生んでしまうのではないか。
-言論を扱う側はどうあるべきか
阪神支局襲撃事件は、言論への暴力に対する意志の再結集を呼び起こすものとなった。二度と繰り返してはならないと、ジャーナリストとして再確認する機会になったと言える。書く人間には一定の危険は伴う。言論には言論で返すべきなのは当然だが、言論で勝負をしたらプロであるメディア側が強いのは当たり前。職業人としての自覚を忘れてはならない。タブーを白日のもとにさらすジャーナリストとしての務めと同時に、常に謙虚さを持ち続けなくてはならない。
溝口 敦(みぞぐち・あつし)氏
週刊誌記者を経て、ノンフィクション作家に。暴力団をはじめ社会問題を幅広く取材、「山口組ドキュメント 血と抗争」「食肉の帝王」などの著作がある。1990年、暴力団関連の著書を出版した直後、男に背中を刺され重傷を負う。昨年1月には、月刊誌記事への報復として、長男が暴力団組員らに襲われ負傷。実行犯ら組員3人(有罪確定)と、上部組織の組長らを相手に損害賠償請求訴訟を起こし現在、係争中。東京都在住。64歳。